未来は

僕自身が 切り開いてみせるよ神様(あんたへ/amazarashi)

 

舞台女生徒再演、本当に本当にありがとうございました。前向きな意味で、もう二度とやることはないと思います。

 

千秋楽のカーテンコールで、語る言葉がありませんでした。初演から半年、ずっと亡霊のように張り付いていた永江ミツキというキャラクターをようやく過去に出来たような気がします。語り得ぬことだから、沈黙するしかないなと思いました。誰が読むでもないブログだからこそ、淡々といろんなものを消化していけるような気がします。自分を取り巻く全てから離れていった永江ミツキという人間に対しての、最後のお別れのような気持ちです。

 

今回改めて、5人いれば5通りの芝居の作り方があるのだなと感じました。特に顕著なのが星秀美だったんですけど、彼女はキャラクターの性格から変えようとしていて。私はキャラクターとして生きることが苦手で、ひたすらその瞬間の感情を本物に近づけたいと思っていて、そういうスタンスの違いに本当に刺激を受けました。私には出来ないな、と、出来るようになりたいの狭間で悩んだりもしました。

もうね、言葉を選ばないなら女生徒はB面だったわけですよ。本番はたったの二度しかないのに、二度とやることはないんだと初日から感じていました。私たち5人の女生徒はここで終わるんだな、と。全くネガティブな意味ではなく、私たちが生きて女生徒を出来るのは今回が最後だったと思います。きっと全員が演者として成長していくけれど、この先女生徒をやったとしても技術の向上を見せることしかできないような気がして。スレスレの、ひょっとしたらアウトかもしれないタイミングだったんじゃないでしょうか。

 

初演よりも俯瞰して見られるようになって、目線ひとつ(その為だけに心理学の本を読みました)、呼吸ひとつまでプランニングをして、だからこそ作り物の感情だと思われるのがずっと怖かったです。自分では結果は分かりませんけど、技巧だなと思われたら終わりだと思っていました。もちろんすごいテクニカルな芝居だったんですけど、決められたタイミングで食べたり吐いたりするから自由度は低かったし。そんでも、しっかりと苦しんで挑めたのではないかと思います。本番は何故か吐き気が止まらなかったし。

 

それから、少しずつ自分も大人になっているんだなと初めて感じました。ずっと周囲の人たちに支えられて生かしていただいていたけれど、私が支える側に回らなければという意識が芽生えました。藤間あやかちゃんと西野凪沙ちゃんという自分よりも若い俳優がいたこともありますが、脚本の中での自分の役を考えた時に、私は安定していようと思いました。大人の側にいるシズ先生の安定感と、高校生組の中でのミツキの安定感を意識していました。他の3人がどれだけ暴れてどれだけ冒険しても、自分のシーンになったら常に同じものを出せるようにと。それはミツキという役がテクニカルな制約の多い役だったからだと思うのですが、今まで沢山の人に支えていただいた分を少しでも返せたらと思っていました。

 

どこで食べる、どこで吐く、どこで息を吸う、どこで目を逸らす、全てを計算した上で、それでも溢れ出る感情は本物でありたいな、というのが今回の全てです。結果的に作品を支えられていたらいいな、と思います。

 

嘘をつきたくなくて稽古中にこっそり吐いてみたことも、台詞として嘘をつくために本を読んだことも、全てが本当に勉強になりました。私が私でよかったし、永江ミツキが私でよかった。もう会うことはないけれど、もう透明じゃいられないけど、しあわせな時間でした。

 

リナもアヤノもミツキもモエもシズも、各々の人生は続くけれどその先を語る必要はないし、藤間あやかも西野凪沙も井本みくにも星秀美も水野奈月もこの先を生きていくし。それだけで十分だと思います。願わくばこの5人でまた作品を作れますように。そして、皆さんに観ていただけますように。本当に本当に、これでおしまいです。ありがとう。

 

23区で一番吐き芸が上手い23歳 井本みくにより