商店街の街灯も消える頃の帰り道

影が消えたら何故かホッとして 今日も真夜中に行方不明(フィロソフィー/amazarashi)

 

仕事終わりの午後22時、自転車を漕ぎながらふと「私の人生には酒が足りない」と思い、ふらりと鳥貴族に入った。

23歳にもなって一人で酒を飲む習慣がない私は、こういう時に何を頼むのが“ぽい”かも分からず、メニューの上の方に書いてあるメガハイボールを注文した。

「以上でよろしいですか?」躊躇いがちな店員さんの声に、なんだ、食べ物も一緒に注文していいのか、と驚いてしまう。

 

程なくしてカウンター越しに、なんでもねえ、何者にもなれねえ日常の象徴のような、憤懣やるかたない、を酒で表現したかのようなハイボールを差し出された。

どれだけ飲んでも減らない酒にどれだけ吐き出しても消えない日々の鬱憤を感じながら、静かに時間が過ぎて行く。

 

こんなにも遣る瀬無い気分なのはきっと稽古が始まったばかりだからだ。

予定は埋まっているのに演劇と関わる時間が短いから、表現が芸術が演劇がどこまでも遠いから、毎日8時間返している問い合わせのメールの文法がなっていないから、偏頭痛が酷いから、きっとそうだ。

 

血液全部がハイボールになったんじゃないかと思いながらジョッキに目をやると、4分の1も減っていなかった。なんだよ。酒じゃなかったのかよ、今足りていなかったものは。

大学生が騒ぐ声を聞きながら、一向に減らない酒と全く思い入れのない大学生活を思い出してますます気が滅入る。

 

何しに東京に来たんだったかな。

元彼と同じ生活圏にいたくなかったこと、部活の講師と顧問の先生それぞれに早稲田を勧められたこと、尊敬する先生に「岐阜にいるのはもったいない」と言われたこと、思い返せば大した理由なんてなかった。

あの日の先生の言葉と自分の才能を信じて東京に来たけれど、23歳の私は細々とクレーム対応をしては酒を飲むだけの人生を送っている。

 

才能ないのに演劇にしがみつく人が嫌いだ、って、本当に嫌いなのはきっと自分なんだろうけれど、18歳の私を信じてくれた人たちに報いなければならないし、何もないまま実家に帰る選択ができるほどの潔さも持ち合わせていない。

 

1ヶ月くらい前から始めたアコギは着実に上手くなっていくけれど、伝えたい音楽も伝えたい相手も思い浮かばないし。

なんだろう、なんだろう、私が今苦しみながらも向き合っているこの人生というやつはどうしたら報われるのだろう。ダメなりに生きているんだけど、ダメなりに真摯に向き合っているつもりなんだけど、どうしてこんなにも何にもないのだろう。

 

まあそんでも、情けなさの中で人は生きて行くほかないのだ。死を選ぶには臆病なので、とりあえず今日は酒の力で自分を騙しておこう。

 

 

帰ったら台本を読んで、大好きな曲を弾いて、お風呂に入って眠ろう。

明日もまた、何でもねえ日を精一杯生きていくんだぜ。