起きたら消すブログ

昨日母から電話がありました。
「就職が決まらないのなら実家に戻って1年資格の勉強にでもあてて、公務員にでもなったら」「就職せずに東京で一人暮らししていけるの」と言われて、言葉に詰まってただ黙って泣いていたらそのまま電話は切れてしまいました。

親の反対を押し切って演劇を続けるために上京した時から、ずっと考えていました。将来のこと、仕事のこと。私にはこの3年半はあっという間で、好きで続けてきた演劇だって楽しいことばかりではなくて、結論なんて出せないまま4年生の春を迎えました。
着慣れないリクルートスーツに袖を通して、稽古や公演の合間を縫っては説明会に参加しました。文具や絵本関係の会社が多かったことを覚えています。
昔からわがままで自分勝手で親にはたくさん迷惑を掛けてきたけれど、人並みに期待に応えたいと思っていました。文房具が好きな母を思い浮かべて、ずっと昔に家族みんなで絵本を読んだことを思い出して、合格したらきっと喜んでくれるのだと思っていました。

とはいえいつも頭の片隅には演劇を続けたいという思いがありました。大学から稽古場へ向かう電車の中で何でもないふりをしてお祈りメールを消去したり、落ちちゃったと笑って報告をするのにも慣れてきた頃、とある企業の個人面談を受けました。
たまたま募集要項を見かけた医療系の会社の営業職でした。
就職が決まらないことに焦っていた私は片っ端から説明会に行くだけの生き物になっていて、その会社に関しては医療系だということも、営業職だということも知らずに面談を受けました。2018年で一番蛮勇という言葉が似合う瞬間でした。
私は一般職を希望していたので、当然説明を受ける中で人事の方との間に齟齬が生まれ、アンジャッシュのコントみたいな感じになり、気がついたら何故か身の上話を始めていました。
演劇をしていること、夢だけでは食べていけないから就職活動をしているということ、諦めたくない思いがあって定時で上がれる可能性の高そうな一般職を希望している(気がする)ことなど。

めちゃくちゃ端折ると「働きたいけど演劇もしたい、決められないよ〜」っていうただのお悩み相談だったのですが、人事のお姉さんはすごく真剣に話を聞いてくれました。
「本当にやりたいと思っているんだったらやればいいし、就職から逃げたいだけならやるべきじゃないと思うけれど、就職活動の原動力が親からの期待にあるように思える」と言われて、私は泣き出してしまいました。

正直に言ってしまえば、就職活動に苦労するなんて思ってもみなくて。とりあえず内定をもらって、演劇を続けるかどうかなんてそのあと考えようと思っていました。
仕事の内容よりも演劇を続けられるような条件なのかを気にしている自分に気がつかなくて、そんな心持ちじゃ受かるわけがないな、という思いと、どのくらい真剣なんだろうという思いと、両親のために就活をしていると言われたショックとで考えが追いつかなくて、スーツがびしょ濡れになるくらい泣いたのを覚えています。

未だにぐるぐると同じことを考えています。それ以来スーツに袖を通すこともできなくて、働きたいという気持ちは持っているけれど、なにが自分にとっての幸せなのかが分からなくなってしまって。

演劇をやめようと思った高校2年生の時、本当にやめていたら何か変わったのかな、と思ったり。名古屋公演の時に笑顔で面白かったと言ってくれた父の顔や、DVDの予約をしたいと言ってくれた祖母の顔を思い出したり。「就職しないのなら実家に帰ってきたら」と言った母を思い出したり。

結局、私は親の言うことを聞かないままこの歳になってしまったから、喜ぶ顔が見たいだけなのかもしれません。家から通える1番頭のいい大学に受かった時、どうしてそこに行くと言わなかったのだろう、と時々思います。
いろんな人に迷惑をかけて、誰にも望まれないまま東京に出て、一緒に暮らしていた兄は大学を辞めて実家に戻って、私は、ひとつくらい心からの両親の笑顔が見たいのだと思います。一生に一度くらいはふたりに心の底から自慢の娘だと、おもってほしくて、私は、それが私の大好きな演劇で出来なかったことだけが苦しいです。

好きなものがなくて、打ち込めるものもなくて、何もなかった私がようやく見つけたものが、応援される価値を得られなかったことが悔しくてたまらない。

女優さんだ、と茶化されるのは嫌だ。
演劇なんか、と言われるのも嫌だ。
うわべだけの「続けたほうがいい」も、うわべだけの「やめろ」も、大っ嫌いだ。

何よりも、何にもなれなかった自分が嫌になりながら、ただ、しまっていたスーツにアイロンをかけて、目を閉じて、せめて夢の中だけは涙を流さないでいられますようにと願って、それでも朝日が目にしみる。おやすみ。