そんなことより、生きたいなら生きたいなりに、

死にたいなら死にたいなりに、ちゃんと人間か?

目が眩むほど、真っ赤に真っ赤に、ちゃんと人間か?(例えばヒロ、お前がそうだったように/竹原ピストル

 

 

オーディション落ちたのが激悔しい井本です。

落ちたことくらいは当然あるけど普通に落ちたんじゃなく「ギリギリまで悩んだけど今回は無理でした」的落ち方だったのが死ぬほど悔しい。

 

他の人の合否出てる中でホントにギリギリまで結果が来なかったから、向こうも本当に真剣に悩んでいたのが伝わってますますますます悔しい。

もう少し面白かったら無理矢理にでも出そうってなったのかな〜とか思っちゃってるし、「上手い人を落とすことがあるのが難しいところ」って言うってことは下手でも受かるんかいとかクソダサ人間の思考しているし。

 

誰のことも恨んじゃいないけど、自分への悔しさ的なアレがすごくて全然気持ちの整理がつかないよ。愛する女が受かったのでそれをマジのガチにお祝いして応援している、でもそこにいられなかった自分、そういうことにずっと躓いている感じ。

 

演劇は難しいな〜、スポーツと数学以外はなんでもそつなくこなしてきたけど、演劇は正解がないからな〜。

 

最近稽古してても思うけど、天才と秀才があるからね。天才が壊していくような壁を、私たちは試行錯誤を高く積み上げて乗り越えるしかないからね〜。がんばろうね〜。

そういう苦しみはたまに報われるからね〜。バリバリ第一線の監督である武藤さんに天才って言われた時、マジで鼻の穴膨らんだよ。

だから今回も苦しい稽古だけど絶対諦めないぞと決めました。今。今日稽古場向かいながらずっと降板のこと考えてたのはヒミツ!

 

天才でないすべてのひとたち、辛酸舐めながら生きていきましょうね、次は無理にでも出してもらお〜っと!オヤスミ!

商店街の街灯も消える頃の帰り道

影が消えたら何故かホッとして 今日も真夜中に行方不明(フィロソフィー/amazarashi)

 

仕事終わりの午後22時、自転車を漕ぎながらふと「私の人生には酒が足りない」と思い、ふらりと鳥貴族に入った。

23歳にもなって一人で酒を飲む習慣がない私は、こういう時に何を頼むのが“ぽい”かも分からず、メニューの上の方に書いてあるメガハイボールを注文した。

「以上でよろしいですか?」躊躇いがちな店員さんの声に、なんだ、食べ物も一緒に注文していいのか、と驚いてしまう。

 

程なくしてカウンター越しに、なんでもねえ、何者にもなれねえ日常の象徴のような、憤懣やるかたない、を酒で表現したかのようなハイボールを差し出された。

どれだけ飲んでも減らない酒にどれだけ吐き出しても消えない日々の鬱憤を感じながら、静かに時間が過ぎて行く。

 

こんなにも遣る瀬無い気分なのはきっと稽古が始まったばかりだからだ。

予定は埋まっているのに演劇と関わる時間が短いから、表現が芸術が演劇がどこまでも遠いから、毎日8時間返している問い合わせのメールの文法がなっていないから、偏頭痛が酷いから、きっとそうだ。

 

血液全部がハイボールになったんじゃないかと思いながらジョッキに目をやると、4分の1も減っていなかった。なんだよ。酒じゃなかったのかよ、今足りていなかったものは。

大学生が騒ぐ声を聞きながら、一向に減らない酒と全く思い入れのない大学生活を思い出してますます気が滅入る。

 

何しに東京に来たんだったかな。

元彼と同じ生活圏にいたくなかったこと、部活の講師と顧問の先生それぞれに早稲田を勧められたこと、尊敬する先生に「岐阜にいるのはもったいない」と言われたこと、思い返せば大した理由なんてなかった。

あの日の先生の言葉と自分の才能を信じて東京に来たけれど、23歳の私は細々とクレーム対応をしては酒を飲むだけの人生を送っている。

 

才能ないのに演劇にしがみつく人が嫌いだ、って、本当に嫌いなのはきっと自分なんだろうけれど、18歳の私を信じてくれた人たちに報いなければならないし、何もないまま実家に帰る選択ができるほどの潔さも持ち合わせていない。

 

1ヶ月くらい前から始めたアコギは着実に上手くなっていくけれど、伝えたい音楽も伝えたい相手も思い浮かばないし。

なんだろう、なんだろう、私が今苦しみながらも向き合っているこの人生というやつはどうしたら報われるのだろう。ダメなりに生きているんだけど、ダメなりに真摯に向き合っているつもりなんだけど、どうしてこんなにも何にもないのだろう。

 

まあそんでも、情けなさの中で人は生きて行くほかないのだ。死を選ぶには臆病なので、とりあえず今日は酒の力で自分を騙しておこう。

 

 

帰ったら台本を読んで、大好きな曲を弾いて、お風呂に入って眠ろう。

明日もまた、何でもねえ日を精一杯生きていくんだぜ。

 

愛してるってゆってよね

愛してるってノイバウテン!(愛してるってゆってよね/銀杏BOYZ

 

 

夏じゃんね〜。なんか夏っぽいことしたいけどなんもしてない方の井本だよ。

 

生まれて初めて彼氏が出来たのが夏だったから、夏になるとやたらとその頃の事を思い出す。

ふたりで浴衣着て行った地元の花火大会とか、こっそり手を繋いでドキドキした地区大会の客席とか、いや後者に関しては今だったら嫌だなって思うんだけど。演劇関係ないとこでイチャイチャするべきだよ。

 

なんかそれを思うと今年の夏……なんだ?デートとかするわけでもないし、友達とも会わないし、いや去年もその前もしてないんだけど。

 

私は子供だから好きな人たちのことが超好きで、そんでもって恋人でもなんでもないのにすぐ嫉妬しちゃうんですよ。

すべての大好きな人たちがいつだって抱き締められる距離にいてくれないことが嫌で、自分でもうわ〜またメンヘラって言われちゃうよ〜なんて思うんだけども。

そんでもさあ、私がぎゅーしてほしいって言ったら優しくぎゅーしてよ、大好きって言ってよ〜。私も寂しかったよって言ってよ、そんな顔しないでよ、喧嘩なんかやめてくだらない話しようよ、友達としてだけじゃなくてさ、演劇してる私のことも好きになってよ。うう。

 

そういえば読み合わせカフェのお手伝いしながら何度も泣きそうになってたし、人より涙もろいのかもしんない。

孤独に泣いて、自分と他人の演劇との向き合い方の違いに泣いて、自分が下手くそだって泣いて、好きって言ってよって泣いて、なんか最近泣いてばっかりいるなあ。事あるごとに泣いてるの卑怯な感じするな。

 

23にもなったらお母さんもおばあちゃんももうぎゅーなんてしてくれないんだから、きっともうこの世の誰も無償の愛なんてくれないんだろうけど、そんでも私は欲しいんだよ〜。は〜。そうやって袖を引っ張って泣いてるうちにみんなが私を置いていってしまうんじゃないかって怖くなって、最近筋トレを始めました。筋肉が全てを救うと風の噂で聞いたので救われる為にがんばります、だからさたまにでいいからさ、愛してるってゆってよね。

会いたい好きです堪りません

とか誰でもいいのに言っちゃってんのがさ、わかんないね(負け犬にアンコールはいらない/ヨルシカ)

 

なんか最近周りのみんながどんどん劇団に入っています、井本です。

こういう言い方しちゃうとクソダサいけどメッチャ劇団に入りたいんだよ、分かってもらえるかなあ。もう3年半くらい?ずっとフリーでやってきてるんですけど、なんでも自分で選べるし選ばなくてはいけないし選ばれなくてはいけないことが時々嫌になってしまう。

名前の後ろに付けたことがあるのは大学のサークルと(所属じゃないけど宣伝と応援の為に名乗ってた)ガールズコントユニットの奇テ烈と彼女だけなんだけど、どっちも劇団に所属しているという感覚はなくて、本当の意味でちゃんと組織に所属したい欲がすごい。周りのみんなに嫉妬してるだけといえばそうなんだけど。

 

だって劇団に入るって最上級のラブコールじゃない、ほぼ結婚じゃん、ズルイよ〜。私も入籍したいよ〜。

「また出してください」は言えても「入れてください」は言えないよ〜。ね。

集団に所属するの向いてないってよく言われるのすごい悔しかったんだけど、出演していない作品にすっごい色々思うことがあって悩んでいた時に「演出でも演出助手でもまして出演者でもないのにそこまで抱えても仕方ないよ、割り切れないとしんどいよ。関わる全部の団体に責任感じているなら、劇団に所属して背負うものが増えたら余計に苦しいよ」と言われて初めて納得した。

でも関わっている以上全部好きでいたいし責任持っていたいじゃんね。出てなくても観に来てくれる人がいるんだもん。難しいな。

 

結局私にしか出来んことなんて何もないんだよな、っていうのが最近すごく悲しい。代えのきかない人間になりたいのだけど。

「見た目も演技もそこそこ出来る人が欲しいからうちに入ってよ」みたいな(ここまで残酷な言い方じゃないけど)お誘いが来るたびに、ああそうか、その程度なんだなと感じてしまうし。かといって自分の強みなんて分からんし、どうしたらいいんだろう。

 

強いていうなら真摯さ?真面目さ?みたいなものなのかなあ、今年入ってから褒められているのは。

見た目がそんなに真面目そうじゃないから、思っているより演劇のこと好きなんだねと言われるんだろうな。納得が出来ることであれば何でもやるし好きな作品であれば身体壊してでも全力を出します、みたいな。でもそれって別にお客様には関係のないところだよな〜。危うさは自覚しているしな〜。出てくる表現にもっと魅力が出るようにならんとな〜。

 

千文字つかって中身のないお悩み相談をしてしまった。誰でもよくなんてなりたくないんで、がんばります。そんだけです。

いつか受け入れられるようにと

僕たちに備えられた 忘れるという機能(Forget/UVERworld

 

辛い過去と向き合うとは何か、ということを考えます。

 

かわいいコンビニ店員飯田さん『再演 マインドファクトリー〜丸める者たち〜』は、脚本・演出の池内風さんの実体験を基にした作品です。高校野球部で行われる“指導”を眺めながら、過去のことを考えます。覚えがあるという事はきっとこれは今もどこかで起きている現実で、これが現実であるという事を、どうしようもなく現実から離れた劇場という場所でどう伝えたら良いのだろう、と思います。私に出来る事は何だろう、と。

 

役と近い体験をしたことがある、という話を稽古場でした時に「ちょうど似たような境遇ですね」と言われて笑って肯定している自分に気がつきました。どんな内容かはここで語ることではないので言いませんが、思えばその話を誰かにする時(そうそう他人に話すような事ではないのですが)、いつも私は笑っていたような気がします。

なんだかゾッとしました。痛みも苦しみも確かにそこにあったはずなのに、軽口でも言うように笑っているのは何故なのだろう。側で話を聞いていた中宮川ふくろさんが本当に辛そうな顔をされていて、その表情を見た時に自分はなんだかおかしいんじゃないかと感じました。

 

かなり昔の話なんですが、私は中学生の頃いじめられていたことがあります。部活の同級生にいじめられ、幼稚園の頃から仲の良かった友達がある日を境に無視するようになりました。毎日一緒に帰ってはくだらない話をしていた2人が私を置いて2人だけで帰るようになったことを、1〜2年前に急に思い出しました。思い出すまで、そんな事実すら私は忘れていました。いじめられていたことは覚えていたのに、友達が「自分もいじめられたくないから」と言ったことを忘れていました。

 

忘れる事で過去にするしかなかったのだろうと思います、し、13歳の自分が受け止められなかったのも仕方がないと思います。

忘れていた過去と、笑い話として語ることしかできない過去との違いは何なのでしょう。笑えるわけがないのに笑ってほしくて、笑いたくて、傷口をみんなに見せびらかしてしまいます。稽古場で話したのは19歳から20歳の頃の出来事なのでまだ時間が経っていないだけなのかもしれないけれど、忘れられるほど過去の出来事ではないのかもしれないけれど、多分誰もが同じような痛みを抱えて生きているんだと思います。

 

本当に痛ましいというかやるせないというか、これが現実であると信じたくないくらいの出来事を舞台に上げることに尊敬と恐怖とを感じます。嘘であってくれたらいいと思うような過去を抱えて生きているのは、もしくは今まさに生きているのは、一部の特殊な人間だけではないと思います。そういう残酷な現実を受け止めるひとつのきっかけになるのかもしれないし、私にとってはそうであってほしい作品です。

 

合流してたったの3日で何を言ってんねんという気持ちもありますが、それくらいの重みのある作品です。ただ辛いだけではなくて笑ってしまう瞬間もあって、笑っている自分の残酷さが嫌になったりもします。

 

決してさわやかな青春の思い出ではありませんが、観ていただけたらと思います。

 

かわいいコンビニ店員 飯田さん「再演 マインドファクトリー~丸める者たち~」予約ページ(井本みくに) | 演劇、ミュージカル等のクチコミ・チケット情報ポータル★CoRich 舞台芸術!

 

 

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これは高校野球と悪しき青春への反抗である。


旗揚げ3年目にして王子小劇場を小屋入り前にSOLD-OUT、連日立ち見、満席にし、キャンセル待ちが3桁まで達したあの作品を遂に再演!


「結果の出ない努力は努力じゃない。今、お前のやってることはどっちだ?なぁ、どっちだよ。」

 

※ストレス耐性の低い方、過去に強いパワハラなどで精神的なバランスを崩された経験のある方には、観劇をお薦め致しません。

 

作・演出
池内風

 

出演

宮崎翔太

奥野亮子(鵺的)
土屋杏文(青☆組)
梅田洋輔(アマヤドリ)
佐野うた
中宮川ふくろ(テトラハウス)
井本みくに
辻響平(かわいいコンビニ店員飯田さん)
袖山駿
山脇辰哉
岩塚光希(喜劇のヒロイン)
米田敬
難波なう

林竜三
円地晶子(無名塾)

古河耕史

 

日時
2019年7月24日(水)~28日(日)
7月24日(水) 19:30
7月25日(木) 14:00 19:30
7月26日(金) 19:30
7月27日(土) 14:00 19:30
7月28日(日) 12:30 16:30
受付は開演の45分前、開場は開演の30分前になります。

 

場所
すみだパークスタジオ倉

 

チケット
《前売り》
一般  3,800円
初日割 3,200円
平日昼割 3,200円
U22割 3,000円
高校生以下 1,000円
《当日》
一般 4,300円
初日割 3,700円
平日昼割 3,700円
U22割 3,500円
高校生以下 1,000円

 

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未来は

僕自身が 切り開いてみせるよ神様(あんたへ/amazarashi)

 

舞台女生徒再演、本当に本当にありがとうございました。前向きな意味で、もう二度とやることはないと思います。

 

千秋楽のカーテンコールで、語る言葉がありませんでした。初演から半年、ずっと亡霊のように張り付いていた永江ミツキというキャラクターをようやく過去に出来たような気がします。語り得ぬことだから、沈黙するしかないなと思いました。誰が読むでもないブログだからこそ、淡々といろんなものを消化していけるような気がします。自分を取り巻く全てから離れていった永江ミツキという人間に対しての、最後のお別れのような気持ちです。

 

今回改めて、5人いれば5通りの芝居の作り方があるのだなと感じました。特に顕著なのが星秀美だったんですけど、彼女はキャラクターの性格から変えようとしていて。私はキャラクターとして生きることが苦手で、ひたすらその瞬間の感情を本物に近づけたいと思っていて、そういうスタンスの違いに本当に刺激を受けました。私には出来ないな、と、出来るようになりたいの狭間で悩んだりもしました。

もうね、言葉を選ばないなら女生徒はB面だったわけですよ。本番はたったの二度しかないのに、二度とやることはないんだと初日から感じていました。私たち5人の女生徒はここで終わるんだな、と。全くネガティブな意味ではなく、私たちが生きて女生徒を出来るのは今回が最後だったと思います。きっと全員が演者として成長していくけれど、この先女生徒をやったとしても技術の向上を見せることしかできないような気がして。スレスレの、ひょっとしたらアウトかもしれないタイミングだったんじゃないでしょうか。

 

初演よりも俯瞰して見られるようになって、目線ひとつ(その為だけに心理学の本を読みました)、呼吸ひとつまでプランニングをして、だからこそ作り物の感情だと思われるのがずっと怖かったです。自分では結果は分かりませんけど、技巧だなと思われたら終わりだと思っていました。もちろんすごいテクニカルな芝居だったんですけど、決められたタイミングで食べたり吐いたりするから自由度は低かったし。そんでも、しっかりと苦しんで挑めたのではないかと思います。本番は何故か吐き気が止まらなかったし。

 

それから、少しずつ自分も大人になっているんだなと初めて感じました。ずっと周囲の人たちに支えられて生かしていただいていたけれど、私が支える側に回らなければという意識が芽生えました。藤間あやかちゃんと西野凪沙ちゃんという自分よりも若い俳優がいたこともありますが、脚本の中での自分の役を考えた時に、私は安定していようと思いました。大人の側にいるシズ先生の安定感と、高校生組の中でのミツキの安定感を意識していました。他の3人がどれだけ暴れてどれだけ冒険しても、自分のシーンになったら常に同じものを出せるようにと。それはミツキという役がテクニカルな制約の多い役だったからだと思うのですが、今まで沢山の人に支えていただいた分を少しでも返せたらと思っていました。

 

どこで食べる、どこで吐く、どこで息を吸う、どこで目を逸らす、全てを計算した上で、それでも溢れ出る感情は本物でありたいな、というのが今回の全てです。結果的に作品を支えられていたらいいな、と思います。

 

嘘をつきたくなくて稽古中にこっそり吐いてみたことも、台詞として嘘をつくために本を読んだことも、全てが本当に勉強になりました。私が私でよかったし、永江ミツキが私でよかった。もう会うことはないけれど、もう透明じゃいられないけど、しあわせな時間でした。

 

リナもアヤノもミツキもモエもシズも、各々の人生は続くけれどその先を語る必要はないし、藤間あやかも西野凪沙も井本みくにも星秀美も水野奈月もこの先を生きていくし。それだけで十分だと思います。願わくばこの5人でまた作品を作れますように。そして、皆さんに観ていただけますように。本当に本当に、これでおしまいです。ありがとう。

 

23区で一番吐き芸が上手い23歳 井本みくにより

 

昨日の夜

駅前 TSUTAYAさんで 僕はビートルズを借りた (ロックンロールは鳴り止まないっ/神聖かまってちゃん

 

ハダカハレンチ第4回本公演『ハッカ』全ステージ終演しました。キャスト、スタッフ、そしてご来場いただきました皆様本当にありがとうございました。

 

遅筆の劇作家を巡る話でした。私は書く側ではないけれど遅筆の作家には割と心当たりがあって、そういう人たちってどうにも嫌いになれないところがあるなあと思いながら稽古をしていました。

御多分に洩れず岡本セキユさんもそうでした。早稲田に通っていた頃から遅筆の噂は(一度も言葉を交わしたことのない)私の耳にも届くほどでしたが、実際驚くほど進まない、いや、劇中のセリフを借りるなら書けば書くほど減っていく。

「面白くなかったら絶対許せないけど面白いから何も言えないです」みたいな話を誰かとしたんですけど、あれ誰だったかな。でもそういうことです。どれだけ遅くても、どれだけ減っても、新しい台本が来るたびにワクワクしてしまうのは、多分好きだからだと思います。今回の作品は題材が題材なのでこういうことを言うのが本当に嫌なんですけれども。Twitterに何度「セキユさんの言葉が好き」みたいな文を書いて消したか分かりません。こっちが勝手に愛さざるを得ない感じもムカつくところではあります。

 

共演者の皆さんも本当に優しい方ばかりでした。演技プランの参考になりそうな作品を教えてくれたり、やたら顔を褒めてくれたり、セリフの言い方を丁寧に考えてくれたり。小屋入りしてから声帯結節が出来ていると分かって落ち込む私にスロートティーとハチミツをくれたり、漢方をくれたり、マヌカハニーをくれたり。弱みでも握られているのかと思うくらい優しくて、なのに自分がベストコンディションで臨めないのが悔しくて、毎日そそくさと劇場を後にしては電車の中で泣いていました。

優しいと言えば音響の深澤さんもすごく優しかったです。毎日ピンマイクをつけるときに「芝居はすごくかっこいいですよ」「声、すごく出てますよ」って言ってくれて、うっかり好きになりそうでした。オペを増やしてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

今回演じた川崎砂子については、新しい挑戦だったと思います。セキユさんが私に抱いていたイメージが(多分制服の方の)砂子だと稽古初期に聞いていました。「みくにちゃんは○○だと思ってたけど△△だった」という構文をセキユさんの口から何度聞いたか分かりませんが、○○の部分は大抵悪口っぽかったです。クールな、斜に構えた、思わせぶりな、そういうイメージから出来ている制服姿の砂子と、普段はやらない大人っぽい雰囲気のオフィ砂子(私しか呼んでなかった)とのギャップがすごく楽しかったです。声が出なかったのでラストシーンは芝居をしているんだか絶叫しているんだかよく分からなくなってました。全ては結節のせいです。

オフィ砂子は意外にもお客様に気に入っていただけているようでこっそりにこにこしています。セキユさんが奈良県出身なのでセリフは関西弁ですが、私のアクセントは関西弁とは全然違ってました。すいません。あれはエセ関西弁です。オフィ砂子はお笑い好きでプライベートではいつもヘッドホンで漫才を聴いているという設定がありましたので、エセ関西弁でも許されるかなと思いあえて適当にやっていました。

 

 

ただでさえ演出家の求めるもの、もしくはそれを超えるものが出せていないのに体調まで崩してしまって、私としては全然満足は出来ていないのですけれど、それでも評価していただけることはありがたく思います。でもとにかく悔しい!打ち上げで悔しくて泣いてたら「もっとスカした奴だと思ってたけどひたすら真っ直ぐな人だった」とセキユさんに言われました。私の第一印象は道明寺司よりも悪そうだなと思ったら涙は引っ込みました。最近花より男子を読んでいますが、道明寺のことがぜんぜん好きになれません。

 

全然いいこと書く気がないのでくだらない話で終わってしまいました。演劇なんかやらなくても死なないけれど、やっぱり死ぬまで演劇やってたいなって思います。

 

そんなこんなでプレイリストにビートルズが増えたこと以外はいつもと変わらない生活に戻ります。声帯結節、早く治りますように。またね。

 

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川崎砂子役 井本みくに