会いたい好きです堪りません

とか誰でもいいのに言っちゃってんのがさ、わかんないね(負け犬にアンコールはいらない/ヨルシカ)

 

なんか最近周りのみんながどんどん劇団に入っています、井本です。

こういう言い方しちゃうとクソダサいけどメッチャ劇団に入りたいんだよ、分かってもらえるかなあ。もう3年半くらい?ずっとフリーでやってきてるんですけど、なんでも自分で選べるし選ばなくてはいけないし選ばれなくてはいけないことが時々嫌になってしまう。

名前の後ろに付けたことがあるのは大学のサークルと(所属じゃないけど宣伝と応援の為に名乗ってた)ガールズコントユニットの奇テ烈と彼女だけなんだけど、どっちも劇団に所属しているという感覚はなくて、本当の意味でちゃんと組織に所属したい欲がすごい。周りのみんなに嫉妬してるだけといえばそうなんだけど。

 

だって劇団に入るって最上級のラブコールじゃない、ほぼ結婚じゃん、ズルイよ〜。私も入籍したいよ〜。

「また出してください」は言えても「入れてください」は言えないよ〜。ね。

集団に所属するの向いてないってよく言われるのすごい悔しかったんだけど、出演していない作品にすっごい色々思うことがあって悩んでいた時に「演出でも演出助手でもまして出演者でもないのにそこまで抱えても仕方ないよ、割り切れないとしんどいよ。関わる全部の団体に責任感じているなら、劇団に所属して背負うものが増えたら余計に苦しいよ」と言われて初めて納得した。

でも関わっている以上全部好きでいたいし責任持っていたいじゃんね。出てなくても観に来てくれる人がいるんだもん。難しいな。

 

結局私にしか出来んことなんて何もないんだよな、っていうのが最近すごく悲しい。代えのきかない人間になりたいのだけど。

「見た目も演技もそこそこ出来る人が欲しいからうちに入ってよ」みたいな(ここまで残酷な言い方じゃないけど)お誘いが来るたびに、ああそうか、その程度なんだなと感じてしまうし。かといって自分の強みなんて分からんし、どうしたらいいんだろう。

 

強いていうなら真摯さ?真面目さ?みたいなものなのかなあ、今年入ってから褒められているのは。

見た目がそんなに真面目そうじゃないから、思っているより演劇のこと好きなんだねと言われるんだろうな。納得が出来ることであれば何でもやるし好きな作品であれば身体壊してでも全力を出します、みたいな。でもそれって別にお客様には関係のないところだよな〜。危うさは自覚しているしな〜。出てくる表現にもっと魅力が出るようにならんとな〜。

 

千文字つかって中身のないお悩み相談をしてしまった。誰でもよくなんてなりたくないんで、がんばります。そんだけです。

いつか受け入れられるようにと

僕たちに備えられた 忘れるという機能(Forget/UVERworld

 

辛い過去と向き合うとは何か、ということを考えます。

 

かわいいコンビニ店員飯田さん『再演 マインドファクトリー〜丸める者たち〜』は、脚本・演出の池内風さんの実体験を基にした作品です。高校野球部で行われる“指導”を眺めながら、過去のことを考えます。覚えがあるという事はきっとこれは今もどこかで起きている現実で、これが現実であるという事を、どうしようもなく現実から離れた劇場という場所でどう伝えたら良いのだろう、と思います。私に出来る事は何だろう、と。

 

役と近い体験をしたことがある、という話を稽古場でした時に「ちょうど似たような境遇ですね」と言われて笑って肯定している自分に気がつきました。どんな内容かはここで語ることではないので言いませんが、思えばその話を誰かにする時(そうそう他人に話すような事ではないのですが)、いつも私は笑っていたような気がします。

なんだかゾッとしました。痛みも苦しみも確かにそこにあったはずなのに、軽口でも言うように笑っているのは何故なのだろう。側で話を聞いていた中宮川ふくろさんが本当に辛そうな顔をされていて、その表情を見た時に自分はなんだかおかしいんじゃないかと感じました。

 

かなり昔の話なんですが、私は中学生の頃いじめられていたことがあります。部活の同級生にいじめられ、幼稚園の頃から仲の良かった友達がある日を境に無視するようになりました。毎日一緒に帰ってはくだらない話をしていた2人が私を置いて2人だけで帰るようになったことを、1〜2年前に急に思い出しました。思い出すまで、そんな事実すら私は忘れていました。いじめられていたことは覚えていたのに、友達が「自分もいじめられたくないから」と言ったことを忘れていました。

 

忘れる事で過去にするしかなかったのだろうと思います、し、13歳の自分が受け止められなかったのも仕方がないと思います。

忘れていた過去と、笑い話として語ることしかできない過去との違いは何なのでしょう。笑えるわけがないのに笑ってほしくて、笑いたくて、傷口をみんなに見せびらかしてしまいます。稽古場で話したのは19歳から20歳の頃の出来事なのでまだ時間が経っていないだけなのかもしれないけれど、忘れられるほど過去の出来事ではないのかもしれないけれど、多分誰もが同じような痛みを抱えて生きているんだと思います。

 

本当に痛ましいというかやるせないというか、これが現実であると信じたくないくらいの出来事を舞台に上げることに尊敬と恐怖とを感じます。嘘であってくれたらいいと思うような過去を抱えて生きているのは、もしくは今まさに生きているのは、一部の特殊な人間だけではないと思います。そういう残酷な現実を受け止めるひとつのきっかけになるのかもしれないし、私にとってはそうであってほしい作品です。

 

合流してたったの3日で何を言ってんねんという気持ちもありますが、それくらいの重みのある作品です。ただ辛いだけではなくて笑ってしまう瞬間もあって、笑っている自分の残酷さが嫌になったりもします。

 

決してさわやかな青春の思い出ではありませんが、観ていただけたらと思います。

 

かわいいコンビニ店員 飯田さん「再演 マインドファクトリー~丸める者たち~」予約ページ(井本みくに) | 演劇、ミュージカル等のクチコミ・チケット情報ポータル★CoRich 舞台芸術!

 

 

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これは高校野球と悪しき青春への反抗である。


旗揚げ3年目にして王子小劇場を小屋入り前にSOLD-OUT、連日立ち見、満席にし、キャンセル待ちが3桁まで達したあの作品を遂に再演!


「結果の出ない努力は努力じゃない。今、お前のやってることはどっちだ?なぁ、どっちだよ。」

 

※ストレス耐性の低い方、過去に強いパワハラなどで精神的なバランスを崩された経験のある方には、観劇をお薦め致しません。

 

作・演出
池内風

 

出演

宮崎翔太

奥野亮子(鵺的)
土屋杏文(青☆組)
梅田洋輔(アマヤドリ)
佐野うた
中宮川ふくろ(テトラハウス)
井本みくに
辻響平(かわいいコンビニ店員飯田さん)
袖山駿
山脇辰哉
岩塚光希(喜劇のヒロイン)
米田敬
難波なう

林竜三
円地晶子(無名塾)

古河耕史

 

日時
2019年7月24日(水)~28日(日)
7月24日(水) 19:30
7月25日(木) 14:00 19:30
7月26日(金) 19:30
7月27日(土) 14:00 19:30
7月28日(日) 12:30 16:30
受付は開演の45分前、開場は開演の30分前になります。

 

場所
すみだパークスタジオ倉

 

チケット
《前売り》
一般  3,800円
初日割 3,200円
平日昼割 3,200円
U22割 3,000円
高校生以下 1,000円
《当日》
一般 4,300円
初日割 3,700円
平日昼割 3,700円
U22割 3,500円
高校生以下 1,000円

 

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未来は

僕自身が 切り開いてみせるよ神様(あんたへ/amazarashi)

 

舞台女生徒再演、本当に本当にありがとうございました。前向きな意味で、もう二度とやることはないと思います。

 

千秋楽のカーテンコールで、語る言葉がありませんでした。初演から半年、ずっと亡霊のように張り付いていた永江ミツキというキャラクターをようやく過去に出来たような気がします。語り得ぬことだから、沈黙するしかないなと思いました。誰が読むでもないブログだからこそ、淡々といろんなものを消化していけるような気がします。自分を取り巻く全てから離れていった永江ミツキという人間に対しての、最後のお別れのような気持ちです。

 

今回改めて、5人いれば5通りの芝居の作り方があるのだなと感じました。特に顕著なのが星秀美だったんですけど、彼女はキャラクターの性格から変えようとしていて。私はキャラクターとして生きることが苦手で、ひたすらその瞬間の感情を本物に近づけたいと思っていて、そういうスタンスの違いに本当に刺激を受けました。私には出来ないな、と、出来るようになりたいの狭間で悩んだりもしました。

もうね、言葉を選ばないなら女生徒はB面だったわけですよ。本番はたったの二度しかないのに、二度とやることはないんだと初日から感じていました。私たち5人の女生徒はここで終わるんだな、と。全くネガティブな意味ではなく、私たちが生きて女生徒を出来るのは今回が最後だったと思います。きっと全員が演者として成長していくけれど、この先女生徒をやったとしても技術の向上を見せることしかできないような気がして。スレスレの、ひょっとしたらアウトかもしれないタイミングだったんじゃないでしょうか。

 

初演よりも俯瞰して見られるようになって、目線ひとつ(その為だけに心理学の本を読みました)、呼吸ひとつまでプランニングをして、だからこそ作り物の感情だと思われるのがずっと怖かったです。自分では結果は分かりませんけど、技巧だなと思われたら終わりだと思っていました。もちろんすごいテクニカルな芝居だったんですけど、決められたタイミングで食べたり吐いたりするから自由度は低かったし。そんでも、しっかりと苦しんで挑めたのではないかと思います。本番は何故か吐き気が止まらなかったし。

 

それから、少しずつ自分も大人になっているんだなと初めて感じました。ずっと周囲の人たちに支えられて生かしていただいていたけれど、私が支える側に回らなければという意識が芽生えました。藤間あやかちゃんと西野凪沙ちゃんという自分よりも若い俳優がいたこともありますが、脚本の中での自分の役を考えた時に、私は安定していようと思いました。大人の側にいるシズ先生の安定感と、高校生組の中でのミツキの安定感を意識していました。他の3人がどれだけ暴れてどれだけ冒険しても、自分のシーンになったら常に同じものを出せるようにと。それはミツキという役がテクニカルな制約の多い役だったからだと思うのですが、今まで沢山の人に支えていただいた分を少しでも返せたらと思っていました。

 

どこで食べる、どこで吐く、どこで息を吸う、どこで目を逸らす、全てを計算した上で、それでも溢れ出る感情は本物でありたいな、というのが今回の全てです。結果的に作品を支えられていたらいいな、と思います。

 

嘘をつきたくなくて稽古中にこっそり吐いてみたことも、台詞として嘘をつくために本を読んだことも、全てが本当に勉強になりました。私が私でよかったし、永江ミツキが私でよかった。もう会うことはないけれど、もう透明じゃいられないけど、しあわせな時間でした。

 

リナもアヤノもミツキもモエもシズも、各々の人生は続くけれどその先を語る必要はないし、藤間あやかも西野凪沙も井本みくにも星秀美も水野奈月もこの先を生きていくし。それだけで十分だと思います。願わくばこの5人でまた作品を作れますように。そして、皆さんに観ていただけますように。本当に本当に、これでおしまいです。ありがとう。

 

23区で一番吐き芸が上手い23歳 井本みくにより

 

昨日の夜

駅前 TSUTAYAさんで 僕はビートルズを借りた (ロックンロールは鳴り止まないっ/神聖かまってちゃん

 

ハダカハレンチ第4回本公演『ハッカ』全ステージ終演しました。キャスト、スタッフ、そしてご来場いただきました皆様本当にありがとうございました。

 

遅筆の劇作家を巡る話でした。私は書く側ではないけれど遅筆の作家には割と心当たりがあって、そういう人たちってどうにも嫌いになれないところがあるなあと思いながら稽古をしていました。

御多分に洩れず岡本セキユさんもそうでした。早稲田に通っていた頃から遅筆の噂は(一度も言葉を交わしたことのない)私の耳にも届くほどでしたが、実際驚くほど進まない、いや、劇中のセリフを借りるなら書けば書くほど減っていく。

「面白くなかったら絶対許せないけど面白いから何も言えないです」みたいな話を誰かとしたんですけど、あれ誰だったかな。でもそういうことです。どれだけ遅くても、どれだけ減っても、新しい台本が来るたびにワクワクしてしまうのは、多分好きだからだと思います。今回の作品は題材が題材なのでこういうことを言うのが本当に嫌なんですけれども。Twitterに何度「セキユさんの言葉が好き」みたいな文を書いて消したか分かりません。こっちが勝手に愛さざるを得ない感じもムカつくところではあります。

 

共演者の皆さんも本当に優しい方ばかりでした。演技プランの参考になりそうな作品を教えてくれたり、やたら顔を褒めてくれたり、セリフの言い方を丁寧に考えてくれたり。小屋入りしてから声帯結節が出来ていると分かって落ち込む私にスロートティーとハチミツをくれたり、漢方をくれたり、マヌカハニーをくれたり。弱みでも握られているのかと思うくらい優しくて、なのに自分がベストコンディションで臨めないのが悔しくて、毎日そそくさと劇場を後にしては電車の中で泣いていました。

優しいと言えば音響の深澤さんもすごく優しかったです。毎日ピンマイクをつけるときに「芝居はすごくかっこいいですよ」「声、すごく出てますよ」って言ってくれて、うっかり好きになりそうでした。オペを増やしてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

今回演じた川崎砂子については、新しい挑戦だったと思います。セキユさんが私に抱いていたイメージが(多分制服の方の)砂子だと稽古初期に聞いていました。「みくにちゃんは○○だと思ってたけど△△だった」という構文をセキユさんの口から何度聞いたか分かりませんが、○○の部分は大抵悪口っぽかったです。クールな、斜に構えた、思わせぶりな、そういうイメージから出来ている制服姿の砂子と、普段はやらない大人っぽい雰囲気のオフィ砂子(私しか呼んでなかった)とのギャップがすごく楽しかったです。声が出なかったのでラストシーンは芝居をしているんだか絶叫しているんだかよく分からなくなってました。全ては結節のせいです。

オフィ砂子は意外にもお客様に気に入っていただけているようでこっそりにこにこしています。セキユさんが奈良県出身なのでセリフは関西弁ですが、私のアクセントは関西弁とは全然違ってました。すいません。あれはエセ関西弁です。オフィ砂子はお笑い好きでプライベートではいつもヘッドホンで漫才を聴いているという設定がありましたので、エセ関西弁でも許されるかなと思いあえて適当にやっていました。

 

 

ただでさえ演出家の求めるもの、もしくはそれを超えるものが出せていないのに体調まで崩してしまって、私としては全然満足は出来ていないのですけれど、それでも評価していただけることはありがたく思います。でもとにかく悔しい!打ち上げで悔しくて泣いてたら「もっとスカした奴だと思ってたけどひたすら真っ直ぐな人だった」とセキユさんに言われました。私の第一印象は道明寺司よりも悪そうだなと思ったら涙は引っ込みました。最近花より男子を読んでいますが、道明寺のことがぜんぜん好きになれません。

 

全然いいこと書く気がないのでくだらない話で終わってしまいました。演劇なんかやらなくても死なないけれど、やっぱり死ぬまで演劇やってたいなって思います。

 

そんなこんなでプレイリストにビートルズが増えたこと以外はいつもと変わらない生活に戻ります。声帯結節、早く治りますように。またね。

 

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川崎砂子役 井本みくに

NEWDAYSSchroeder-Headz

 

高校2年の夏、名古屋市内はうだる様な暑さだった。初めての彼氏と、特に行きたくもない大学のオープンキャンパスに行った。

住宅街の中に立っている大学の校舎はどこか当時通っていた高校を思わせるような古臭さがあって、門前に立っただけで既に私たちは興味を失っていた、と思う。蝉の鳴き声が異様にうるさくて、汗と一緒に意欲が失われていった。

 

「暑いし煩いし、やめよう」と言い出したのはどちらからだったか。思っていたことは同じだったので、あっさりと私たちはオープンキャンパスをやめ、名古屋市内を散策することにした。どこに行ったかはあまり覚えていない。たったひとつだけ覚えているのは、ヴィレッジヴァンガードのゴミゴミした店内で聴いたSchroeder-Headzに心を奪われたこと。

 

その年の夏、一緒に花火大会に行く約束をした日に、携帯にSchroeder-Headzの曲を入れておいた。あの時よかったって言ってた曲、せっかくだから聞こうよ、と言った。彼の甚平姿や、花火や、そこで口にした出店のなんとも言えない食べ物よりもずっと、あの時聴いた曲の方が記憶に残っている。

 

結局彼とはあっという間に疎遠になって、高校を卒業する頃には連絡すら取らなくなった。すれ違っていった理由のひとつが成績の差だったことはつい最近知った。勉強が出来ることは当時の私の数少ない自慢だったし、部活動にどれだけ時間を取られても好成績を残そうと必死だった。努力を重ねていい大学に行った兄と比べられることへの反抗心もあったと思う。

 

関東の大学に編入するというので、久々に彼に会った。五年ぶりに会った彼は記憶にあるよりずっと太っていたし、もう演劇はやめたと語った。高校の頃は部活ばかりで成績のことなど気にもしていなかった彼が、難関と言われる大学に編入する為に払った努力がどれほどのものか、想像もできなかった。

 

「演劇を辞めてなくてよかった」と言われた時、「どうして辞めてしまったの」と言いそうになる気持ちを必死に抑えた。私は心のどこかで演劇を通して復讐するような気持ちでいたのだと、初めて気付いた。彼と打ち解けるきっかけでもあり、決別するきっかけでもあった演劇で評価されたら見返せるような気がしていたけれど、私たちの間に流れた五年の月日は思った以上に長くて、とうにそんなちっぽけな確執はなくなっていた。

 

付き合っていた頃に食べていたマクドナルドのフライドポテトよりもずっと美味しい料理を前に、私たちはいろんな話をした。あの頃仲が良かったひとたちのこと、この五年間の自分のこと、過去のこと。想像以上にいろんなものが変わっているのだと知った。

 

まだまだ話し足りないとそのまま向かったカラオケで彼が歌ったのは、私がずっと好きなバンドの曲だった。価値観も、選ぶ道も、趣味も変わっていく中で、音楽が確かに私たちを繋いでいるのだということが、わけもなく嬉しかった。朝まで歌い尽くして、高校生の頃のように、またねと別れを告げた。

 

あれから一年、結局彼とは一度も会ってはいないけれど、Schroeder-Headzを聴く回数だけは増えた。

 

今日も何にもない僕らは星に願うよ

世界よ終われ

そして新しい日々に新しい陽よ昇れ(また今夜も眠れない僕らは/Shout it Out)

 

COMBO×COMBO 3rd Performance『茜色に染まるあなたへ』全ステージ無事に終演いたしました。キャスト、スタッフ、そしてご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました。1回だけの予定が何度も足を運んでくださった方もいたりして、とても嬉しかったです。

 

高尾山の天狗伝説を絡めた、50年の時を超えた祖母と孫の物語、お楽しみいただけましたでしょうか。主人公、茜が天狗さらいにあった先で出会う女の子、ユウを演じさせていただきました。

前回公演もそうでしたがCOMBO×COMBOでやってほしいと言われる役は普段の自分とはかなり遠くて、底抜けの明るさで空気をかき回していく感じがなかなかしっくりこなかったりもして、けれどもそうして悩んだことが結果的に、私が演じるユウの良さになっていたらいいなあと思います。

今回、演劇をやる時、観る時に何を面白いと思うのか、初めて自分の中で明確になりました。嘘をつくことが好きなのだと思います。どうしたって本音だけを口にすることはできない私たちが、そもそも自分ではない誰かを演じる中で、その誰かの抱える本音と、口をつく言葉とのギャップに悩んだり、他人から影響を受けて変化したりするのが好きです。

 

現実を受け止めきれないユウの帰りたいけど帰りたくない気持ちだったり、大切なものを見つけて変わっていく茜に対する憧れのような取り残されてしまったような気持ちだったり、明確でない部分を少しでも表現出来ていたらと思います。

もっとできたことがあるような気もするし、かといって全く無力だとも思わないし、とにかくもっともっと成長したい、という気持ちです。

 

明日から、5/31-6/4本番のハダカハレンチさんのお稽古に参加します。ハダカにはなりませんし、多分ハレンチでも無いと思います。作演出の岡本セキユさんは、私が大学1年の頃には既に早稲田では有名人といった感じでして、いつかはご一緒してみたいと思っていました。4年も経ってしまいましたが、こうしてご一緒出来る喜びと、今回得られた沢山のものを胸に、気を引き締めて臨んでいきます。よろしければ是非、お越しくださいませ。

 

明日ではないかもしれないけれど、またいつか。

 

ユウ役 井本みくに

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僕の中で生きている 僕が愛したもの達みたいに

あなたの中で生きていたいよ(amazarashi/エンディングテーマ)

 

COMBO×COMBO『茜色に染まるあなたへ』、もりもりお稽古しております。

 

今回はおばあちゃんと孫のお話ということで、おばあちゃん子の私は嫌でもおばあちゃんのことを思い出します。

小学生の頃は毎年キャンプに連れて行ってくれて、離れていてもいつも私のことを気にかけてくれるおばあちゃんも、今年で71歳になります。全然そうは見えないくらいに若々しくて可愛らしい人です。

親戚に「もう成人式なの!?早いねえ」などと驚かれる経験をされた方は多いと思うのですが、こちらもこちらでもう71歳なの?という気持ちです。いつまで経ってもおばあちゃんは年を取らないような気がしてしまいます。雨が降っただけで車で迎えに来てもらったり、演劇部の県大会に足を運んでもらったり、大好物のささみのフライを作ってもらったり、そんなことばかり思い出します。

 

私はとにかく母方のおばあちゃんが大好きで、小さい頃は地震が怖くて、万が一地震が起きて会えなくなったらどうしようと思っただけで泣いてしまうくらいでした。おばあちゃんはここに避難してみくにはここに避難するから、もしそうなっても落ち着いたら会えるんだよ、なんて諭されたことを覚えています。

 

上京して会う機会も減って、メールをもらってもなかなか丁寧に返せなくなって、毎年送っていたお誕生日おめでとうのメールを忘れてしまう事もあって、我ながら祖母不孝……そんな言葉はないか、けど、祖母不孝な孫娘だなと思います。

岐阜から芝居を観に行くのは体力的に厳しいから応援だけしてるね、と入学当初に言われて、体感以上の速度で時間が早く過ぎてしまうこと、年齢を重ねたおばあちゃんにとってのその時間がどれほど重たいものなのかを改めて感じました。

それでも年に数回帰省してご馳走を振舞ってもらうだけだと実感はわかなくて、時間さえ取れたらまた一緒にキャンプに行けるような気がしてしまいます。きっともうおじいちゃんとおばあちゃんにテントを立ててもらうことは出来ないのに、私だけはいまだに子どものままで進めずにいます。

 

去年、順風男女さんの名古屋公演におばあちゃんが来てくれました。高校1年生以来、実に6年ぶりに私のお芝居を観て、面会で目の前に来たおばあちゃんの身体が私よりもずっとずっと小さくて、観に来てくれてありがとうと抱きしめながらわけもなく涙が溢れたことを思い出します。

地震が怖いと泣きついた時も、蒸し暑い8月の夜に小さなテントの中で一緒に寝た時も、おばあちゃんの身体は私より大きくてあったかくて、いつも私が寝付くまでずっと背中を撫でてくれた手だって私よりも大きかったはずなのに、いつのまにか追い越してしまいました。

DVDが欲しいから予約したいと言ってくれたおばあちゃんに予約の仕方を教えながら、ずっと泣いていました。私が東京で演劇を続けていくのだとしたら、これがおばあちゃんに観てもらえる最後の作品なのかもしれない、と思いました。おばあちゃんは届いたDVDを観てくれたかな。

 

でもきっとそれはおばあちゃんに限ったことではなくて、例えば応援してくれていたファンの方が就職して地方に行ってしまうことだったり、ふとしたきっかけで私から離れていくことだったり、そんなことがあるたびに、ああ、これが最後になってしまうのかなと思うのです。

演劇をやる以上は何ステージ観てもらおうと全て一度きりの観劇体験になってしまうし、客席に座るお客様の大多数とはそれきり会うこともなかったりするのだと思うと、時々やりきれない気持ちになります。映画やドラマだったら離れたところにいる人にまで届けられるのに、なんて思うと同時に、生身で目の前で演じるからこそ届くものもあるし、私はそれが好きで演劇をやっているし。

 

だから今回も、色んな気持ちを抱えつつやっぱり「来てください」と言います。大好きなおばあちゃんに観てもらうことができなくとも、私は今、私が信じるものに全力をかけるしかありません。

演劇が好きです。演劇はいま、ここにいる人にしか届かないけれど、だからこそ好きです。どうか観に来てください。

 

年末に、おばあちゃんの作るささみフライがまた食べたいな、と言った時、おばあちゃんは昔何度も作ってくれたことを忘れていたけれど、私は確かにあのあったかくてサクサクしていて、小さいわりに手間のかかるささみフライを覚えているし、その時作ってくれたフライに昔はなかった海苔が巻かれていたことも覚えています。

私たちの作る作品も、そうして誰かの中に残っていくのだとしたら、残ってくれるのだとしたら、それは何より素敵なことなんじゃないかと思います。

 

あの味が恋しくて何度も作ってみたけれど、私は未だにささみの筋がうまく取れません。

ああ、おばあちゃんの作るささみフライがまた食べたいなあ。

 

 

【次回出演】

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井本応援ご予約URL→https://www.quartet-online.net/ticket/akaneironisomaru?m=0ldeija